11月17日からニュージーランドでは『モリオリ語週間』。この機会に『モリオリ』について学ぼう!

『ta rē Moriori | モリオリ語週間』

2025年11月17日(月)からニュージーランド史上初の ta rē Moriori|モリオリ語週間が始まります。

この『 ta rē Moriori|モリオリ語週間』は、チャタム島先住民言語であるモリオリ語(タ・レ・モリオリ)を称え、復興させることを目的とし、ニュージーランド各地で語学レッスン、文化体験、デジタルキャンペーンなど、様々なイベントや祝祭が行われます。

 

開催期間:2025年11月17日(月)から11月23日(日)
目的:モリオリ語を復興させ、その魅力を広く伝え、より浸透させる
開催場所:チャタム諸島およびニュージーランド全土
内容:語学レッスン、文化慣習(ティカネ)、歌(ロンゴ)、物語の語り、オンラインコンテンツなどを通じて、モリオリ文化とその強靭さを紹介

『Moriori | モリオリ』とは?

「Moriori | モリオリ」は、ニュージーランドの東に位置するチャタム諸島に住んでいたポリネシア系の先住民族を指す言葉です。「Moriori | モリオリ」は約1500年頃にニュージーランド本土のマオリから分かれて移住し、独自の文化を発展させましたが、1830年代に本土のマオリの襲撃を受け、人口が激減しました。現在では、彼らの子孫が文化復興に取り組んでいます。 

です。

でもせっかくなのでもっと詳しく知りたい人のために、これから詳しく紹介していきます。

モリオリ語 : Rēkohu、英語: Chatham Islands
ニュージーランド南島の東方1000kmに位置する南太平洋上にある諸島。ニュージーランドの特別領である。チャタム島のワイタンギが最も大きな集落である。総面積963km2。ラグーンが総面積の1/3を占める。人口約610人。

「Moriori|モリオリ」という語は、ポリネシア祖語の「本物」を意味する言葉 ma(a)qoli に由来しています。普通、土着の意味を持つマオリ語の「Māori|マオリ」と同根であると考えられています。 

約1500年頃、ニュージーランド本土のマオリの一部がチャタム諸島(モリオリ語でRēkohu)に移住したのが起源とされています。

Moriori people in the late 19th century

チャタム諸島という孤立した環境の中で、独自の文化や、方言、芸術、生活様式を発展させてきましてきました。

  • 寒い気候の中ポリネシアやニュージーランドと同じ穀物の栽培ができないため、狩猟採集の生活様式を採用。食物は、魚や、オットセイ、海鳥などほぼ完全に海洋から得た。
  • ヨーロッパ人との接触
    1791年11月、航海中のイギリス船のチャタム号の船長が自分の船にちなんで島にチャタムと名付ける。
    1804年から1807年にかけてシドニーからのアザラシ狩りの漁師らの船が到着し有効な関係を保つと、すぐさまアザラシ狩りや捕鯨活動の中心地とし天然の人々と資源を奪い合った。同時に豚とジャガイモが島にもたらされた。が、モリオリに衣食を与えたアザラシはほとんど絶滅してしまう。
    1830年代半ばには、地域の人口は約1,600人と推定され、人口の約10%から20%がヨーロッパ人がもたらしたインフルエンザなどの感染症で死亡した。

  • マオリ族に征服される
    1835年11月、タラナキ地方のマオリ部族500人がヨーロッパ船を乗っ取りモリオリを攻撃。続いて12月にも同じ船でさらに400人のマオリ人が送り込まれ、平和主義を唱えていたモリオリ族を無抵抗なまま虐殺し、食人、また生存者を奴隷化した。
    何人かは奴隷として近くの島にアザラシ狩猟に連れていかれたりして、1862年までに、約2,000人いた人口のうち101人のみが生き残った。
    モリオリの女性の中には最終的にマオリまたはヨーロッパ人男性と結婚した者も少数いた。
  • モリオリ人と文化の衰退
    モリオリは1860年末までに奴隷制から解放されたが、人口が少なかったため、次第に文化が希薄化した。モリオリ語と文化を理解していた人々はほとんどいなかった。若い世代はマオリ語を話していた。1900年までに、チャタム諸島で自分たちを「モリオリ」と名乗る者はわずか12人になった。1933年に最後の純血のトミー・ソロモンが他界。現在は1000人ほどの混血のモリオリの子孫が生きていると言われている。
W Rerwick 1910 CanterburyMuseum.
  • 土地返還
    1980年後半に、*ワイタンギ審判所を通じてニュージーランド政府に対して申し立てる。主張の主な内容は、1842年の英国による島々の併合や、モリオリ人が奴隷状態に置かれていることに対し政府が何の行動も起こさなかったこと、そして1870年に島の97%がマオリ族に与えられたことであった。
  • 漁業権
    1994年~1996年、土地の返還とともに漁業権についても審理され、判決はモリオリ側の主張を強く支持。これにより、2017年にイギリス王室は漁業権の賠償としてモリオリに1800万ドルを支払った。

文化継承に向けて

モリオリ人が歴史的に直面した困難にもかかわらず、モリオリ文化はチャタム諸島とニュージーランド本土の両方で現在復興しつつあります。

その例として、次の事柄が挙げられます。

  • 2001年、モリオリの言語と歌を保存する作業が始まった。文化と言語を保護するために、政府から600万ドルの助成金を受けた
  • 2005年にチャタム島に新しいコーピンガ・マラエ(注:マラエとはマオリ文化における集会所)で平和規約が更新された。マラエには800人のモリオリの子孫が登録されており、3000人以上の子供が関連している
  • *アホウドリを平和のシンボルとし、非暴力をモリオリの自己イメージとしている。
  • 2002年チャタム島東海岸の土地を国王が購入(Taia財産)。現在は保護区となっており、モリオリ人と国王が共同管理している。また、モリオリ人は島の rākau hokoairo (木への彫刻)の保存にも積極的に関わっている

勿論今年から始まった「モリオリ語週間」もその一つです。

あとがき

これまでニュージーランドのモリオリ族について紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?

壮絶な歴史をもつモリオリ族の文化、是非とも衰退することなく、続いて欲しいですいね。

実は、私が働いていた以前の職場に1933年に他界した最後のモリオリ純血であるトミー・ソロモン氏のお孫さんにあたる人がいました。マオリ人との混血でしたが、そのお孫さんはソロモンの苗字を継承し、人から聞かれると「自分はモリオリ人」だと言ってました。

残念ながら数年前にその彼も他界してしまいました。
天国でこの「モリオリ語週間」の開催をきっと喜んでいることでしょう。

Ngā mihi
wonderer