Kia ora
ニュージーランドのマオリ族の伝統的な入れ墨 tā moko ( ター・モコ)の世界的な人気は一向に衰える気配がない一方で、最近特に女性特有のター・モコであるmoko kauae(モコ・カウアエ)をした女性の数が急増しています。ター・モコは、Māoritanga(マオリタンガ:マオリの世界観、教義)に再び繋がる、それからマオリ人としての誇りを示す象徴だと言われています。
どうしてモコ・カウアエを刺す女性が増えているのか、その背景や例などを紹介していきます。
マオリの伝統入れ墨、ター・モコ
モコ・カウアエ が急増している理由を紹介する前に、まずマオリ族の入れ墨について紹介します。
マオリ族の伝統的な入れ墨は tā moko ( ター・モコ)と呼ばれます。
この tā moko ( ター・モコ)は、その昔 uhi ( ウヒ ) と呼ばれる小さな鑿(のみ)で皮膚に溝を掘って色を入れていく方法で、マオリ族にとって最も崇高な部位とされる顔と、それからお尻に施されていました。ター・モコには本人だけでなく部族や祖先が象徴されています。それゆえにター・モコは部族で厳選された人のみに施されていました。
現在はレーザーなど機械彫りが主流ですが、今でも部族の儀式にのっとって手彫りで行われることもあります。
ター・モコの詳細はこちらをご覧ください。
女性特有の モコ・カウアエ
マオリの伝統的な入れ墨 ター・モコの種類に、唇とあごに刺す女性特有の入れ墨、Moko Kauae ( モコ・カウアエ)があります。
モコ・カウアエは、他のター・モコと同じく先祖から何世代にもわたって受け継がれるTāonga ( タオンガ・伝統的に受け継がれる宝)であり、先祖や家族、そして自身を表現します。
唇とあごの部位に施す理由については色々な説があります。例えば、息をすることは自然や宇宙に繋がることから、その口の周りに模様を施すことで、個人をスピリチュアルな世界に一層近付ける。それからスピーチやコミュニケーションなどの重要性を高めるなどです。
1800年代に入りニュージーランドが植民地化されると、 マオリ語などマオリの文化が廃れてきました。モコ・カウアエも例外ではありません。
が、1970年にマオリ文化のルネッサンスが始まると、マオリ語と共にター・モコやモコ・カウアエも復活してきました。
2016年に労働党政権下、国会議員となり後に外務省大臣に就いたNanaia Mahuta(ナナイア・マフタ)は、世界で初めて顔に先住民の入れ墨を入れた女性政治家として世界的な注目を集めました。このブログのトップの顔写真はそのナナイア・マフタのものです。
2023年6月にはフェイスブックで ‘Moko Kauae Aotearoa’ というページが設立されました。マオリ女性が外部からの抑圧や判断を恐れることなく自由に意見や体験談をシェアできます。現在およそ15,000人の女性が登録しており、これからモコ・カウアエを刺す人が情報を得るプラットフォームとして活発に利用されています。
そして下の動画では実際にモコ・カウアエが施された様子が収められています。是非見てみてくい。
moko kauae を刺した女性の声
女性がモコ・カウアエを刺すきっかけは何だったのでしょうか?そして実際に刺した後の影響などは?
これから実際にモコ・カウアエを最近刺した女性の声をお届けします。
1)高校教師キャサリンの場合
まず最初にオークランドの高校で美術の教師をしている Catherine Tamihere ( キャサリン・タマヘレ ) の例を紹介します。
キャサリンは、ニュージーランドの歴史に残る1975年の land march の先導者 Kuia Dame Whina Cooper ( フィナ・クーパー)の子孫にあたりますが、マオリ語を話さない環境で育ちました。
そしてニュージーランドが植民地化されたことにより、先住民マオリ族の慣習が打ち砕かれマオリの文化や家徳が消され、結果として民族性が失われたと常々思っていました。
が、教鞭を執ると、現在の教育は彼女が受けたものと全く違いマオリの世界観に焦点が当てられていることに気づきます。その背景に、大地の人々からマオリ観を奪った植民地化という残酷な歴史が社会的に認められたからであると悟ります。その結果マオリの一人として自分自身もポジティブに生きたいとの願いから、モコ・カウアエを施すことを思うようになりました。初めのうちは自分は適格でない、マオリとして十分でないという疑念に駆られましたが、 年上の女性から他人の意見を聞かずにもっと早くにモコ・カウアを刺すべきだったと後悔の念を聞き、20年後ではなくて今がその時期だとして決心しました。ポーフツカワの木の下に家族が集まって見守る中、マオリの伝統的なフラックス(亜麻)で織られた敷物に横たわり、ポーフツカワの葉が太陽の下で揺れ、uhi(小さな鑿)が打つ規則的なリズムの音が自然の音と一体になると、それまでの心配は消え気持ちが安らぎました。
一時間強の出来事であったが数分間に思えました。刺し終えた瞬間はまるで生まれ変わったかのようにすべてが繋がりそして意味があることを感じました。また、モコ・カウアエという tāonga(宝物)を授かった意義を悟り、同時に光栄に思いました。
マオリとしての自分、マオリ世界観への繋がりなど新しい感覚を得たことは、過去の出来事への癒しにもなっています。これからは過去の出来事に自分たちを足止めさせません。孫の時代には社会はもっと変わっているはずです。
2)TVプレゼンターのジェニーメイの声
続いてカウアエ・モコを刺した女性の二人目として紹介するのは、NZの朝のテレビ番組「Breakfast 」のプレゼンター、 Jenny-May Clarkson ( ジェニーメイ・クラークソン)です。現在8歳の双子の男の子の母親であるジェニーメイは、子供のころはモコ・カウアエとは無縁の世界で育ったそうです。
ジェニーメイは1970年代にワイカト地方の片田舎に生まれ、父親のようにマオリの名前のおかげでからかわれないようにと、西洋人の名前が付けられました。小学校ではカパ・ハカダンス(マオリの伝統舞踊)を楽しみましたが、成長するにつれ西洋人としての観かたを持つようになり、ティーンエイジャーになると自分がマオリであることを拒否していました。
テレビ番組に出るようになってから、マオリ人としての自覚が芽生え、たまたまモコ・カウアエを施している年配の女性を見た時に、その年配の女性から強さと権威、知識を感じるとともに、安心感を覚えました。これをきっかけにモコ・カウアエを考え始めました。
ですが、決心がなかなかつかず色々な人に相談している内に、1950年から60年代にかけてモコ・カウアエは社会的に屈辱的で不名誉なことであり、恥ずかしくて外に一歩も出ない女性がいたことを知りました。
今は子供たちにこう伝えたい。「いつか自分を愛するようになることを。舞台上でマオリのカパハカ用の衣装を着て誇らしく思った気持ち、そしてようやく自分の居場所を見つけたという気持ちはいつまでも残ります。胸を張って人生を歩みなさい。それがあなたの祖先があなたに願ったことなのだから。」
私は、モコ・カウアエを刺すことで自分自身について深く考え、マオリとしての自分を認めるとができました。私は原点に戻ったのです。これからは間違いなく自分の人生を歩みます。そしてマオリ人であることを誇りに思います。
テレビの視聴者の中には不快に思う人もいるかもしれませんが、私自身に変わりはなく、ただ自分が何であるかを身に着けただけです。
(参照:https://www.1news.co.nz/2024/04/14/jenny-may-clarkson-reveals-her-moko-kauae-this-is-still-me/ )
あとがき
歴史的に自分の民族性が奪われた生活を強いられることは非体験者には想像し難いですが、今回紹介したマオリ女性の声に耳を傾けることで少しでも理解していただければ嬉しく思います。
ニュージーランドに長年住んである程度西欧の慣習に慣れたつもりでも、例えば食卓の上に座る、足や靴をのせるなどの些細な行為にどうしても相容れないものがあります。一般的に西洋の考えでは、その食卓がけがれたという概念は理解されません。
これは本当に些細な例ですが、植民地化以来マオリ族は万事において同じような目に遭っていると思えば、彼らがどうしてそこまで嘆いているのかも解かっていただけるかと思います。
Ngā mihi
wonderer
追伸 文中に出て来た1975年の land march の先導者 Kuia Dame Whina Cooper ( フィナ・クーパー)についてはこちらをご覧ください。