マオリ映画 ④ hikoi の主導者『Whina』: ワイタンギ条約を祝うNZの社会背景が分かりやすい!

Kia ora

ニュージーランドの近代史に、先住民マオリ族の復興活動の出来事として、マオリ語でhikoi と呼ばれるデモ行進があります。
ワイタンギ条約審査会を設立する契機となったこのhikoiは、当時75歳のマオリ女性が先頭に立ち世界の注目を浴びました。

そのマオリ女性Whina Cooper ( フィナ・クーパー)の生涯を描いた『Whina』が昨年公開されました。マオリ族の土地所有に関する問題やレジスタンス運動がわかりやすく描かれており、ワイタンギ条約の他、ニュージーランドの歴史や社会に興味がある方にお薦めします。

『Whina 』映画概要

原題: Whina(フィナ)
ジャンル: ドラマ / 製作年: 2021年
製作国 : ニュージーランド 上映時間 112分  / 言語:英語、マオリ語
監督:James Napier Robertson、Paula Whetu Jones脚本 : James Lucas; James Napier Robertson; Paula Whetu Jones
出演: Rena Owen、Miriama McDowell、James Rollesto

 『Whina』あらすじ

マオリの女性活動家 Dame Whina Cooper(フィナ・クーパー)の生い立ちから、並外れた人生を描いた伝記映画。
フィナ・クーパーの名前を世間に知らしめることになった、マオリ族の土地喪失に対する政府の見直しを要求したレジスタンス運動hikoi(ヒコイ)を初め、 男女平等、マオリ人の権利などの活動の模様や、マオリ部族における人間模様やフィナの女性としての心情も描かれている。

『Whina』 感想

映画『Whina 』の主人公フィナ・クーパーは、1975年に「これ以上マオリ族の土地は手放せない」をスローガンにマオリ語で hikoi ( ヒコイ ) と呼ばれる行進を行った実在の人物です。Māori Land Marchとも言われるこのhikoi は、北島最先端から首都ウェリントンまで行進し、最終的には5,000 人が参加、6万人が署名した嘆願書を国会に提出しました。
その結果としてワイタンギ条約審査会議が設立され、マオリ族が失った土地や利権に対しての政府が審査調停をする機会が設けられました。

ある意味フィナは、現在の民主主義国家としてのニュージーランドに真の立役者といっても大げさではないと思います。

そのヒコイが行われたときは、フィナ自身は75歳でした。


この映画では、その有名なhikoi だけでなく、マオリ部族の首長の娘として生まれ、当時蔓延っていた男尊女卑の社会の中で、生まれながらの知性と情熱をもって部族のリーダーとして部族を引っ張るフィナの姿や、マオリ族の次第に土地を失い追いやられていった苦悩の他、政治家の台頭、都市部に移動した人日の失意など、若者を中心としたマオリ復興を願ったルネッサンス運動が起こった社会的な背景がよくわかります。
今日の民主主義が進んだニュージーランド社会の変遷が学べる、貴重な映画ではないでしょうか。

ニュージーランドの歴史に残る人物の活動を紹介しながらも、一人の女性としての心の葛藤、またマオリ部族の首長の娘として追う責任感などセンチメンタルな部分もよく描かれ、単なるヒロイン映画としてだけでなくドラマ感も強く、最初から最後までよどみなく見ることができました。ドラマ映画としてもよく出来ていると思います。

 Whina Cooper のプロフィール

『Whina 』の主人公フィナ・クーパーのプロフィールを紹介します。

1895年、北島のNorthland 地方のHokianga (ホキアンガ)に、Hōhepine (Josephine) Te Wakeとして生まれる。父親は部族の長であった。
父親の背中を見て若いころから部族のために働き、30代でホキアンガのリーダー的な存在となる。

1932年、マオリ族初の政治家Apirana Ngata(アピラナ・ナタ)に共感し、マオリ族所有の土地の改革を実行。改革はおおむね成功したが、中には実用的でない土地もあった。

1949年、二番目の夫Bill Cooperが他界するとオークランドへ移り、マオリ・リーダーの役を務めた。
マオリ女性福祉組合を立ち上げ、各地にその支部を設立。1950年半ばには、300ヶ所の支部と4,00人のメンバーで構成され、都市で差別を受け住まいや職に困っているマオリ人の生活状態を大幅に改善した。

1953年、イギリス王室からDame(ディム)の称号を授与される。

1975年、マオリ語でhikoi(ヒコイ)と呼ばれる‘Māori Land March’行進を行う。次々にマオリ所有の土地が失われていくことに反対し、若いマオリリーダーらと共に北島最先端に位置する Te Hāpua(テ・ハープア)から首都ウェリントンまで行進した。ウェリントンの国会議事堂に到着するまで5,000 人が参加し、6万人が署名した嘆願書を当時の首相Bill Rowling(ビル・ロウィング)に渡した。
当時79歳のフィナの脆弱ながら懸命に歩く姿はo国民の目に焼き付くこととなった。
また、hikoiの結果として、忘れ去れていたワイタンギ条約が見直されることになり、ワイタンギ条約審査会が設立。非合法に転売されたマオリ族所有の土地と土地に関わる利権に対し調査後調停がなされるようになった。

 1990年オークランドで開催された* Commonwealth Games(英連邦競技大会)の開幕式で、ワイタンギ条約があるからこそ、ニュージーランドの国民は一つであると声明した。

1994年に98歳でHokianga(ホキアンガ)にて他界。tangi(タンギ)と呼ばれる葬式はテレビで中継、100万人以上の人々が視聴した。

*Commonwealth Games(英連邦競技大会):英連邦に所属する52の国と地域が参加して行われるスポーツ大会、4年毎に行われる。2022年はイギリスで開催、次回2026年はオーストラリアが開催地である。

   あとがき

2月6日はワイタンギ条約記念日です。国家設立を祝いニュージーランドの各地で色々な催しが行われます。

この『Whina 』は、そのワイタンギ条約が過去のものでなく、こんにちの民主化が進んだニュージーランドの社会に密接に繋がっていることがよく分かるかと思います。

この機会に是非ご鑑賞下さい。

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ABOUTこの記事をかいた人

1997年にNZに渡航。以来住み心地がよく現在に至る。旅行、ホテル業界を経て現在は教育業界に従事。 趣味は、ガーデニング、アートと映画鑑賞、夏のキャンプ旅行。 パートナーと中学生娘とウェリントン在住。