オールブラックスでお馴染みのマオリ族に伝わるカマテ・ハカ誕生の秘話、テ・ラウパラハとは?

Kia ora

ニュージーランドのマオリ族の民族芸能の一つにハカという躍りがあります。ハカには様々な躍りがありますが、中でもカマテと呼ばれるハカはニュージーランドを代表するラグビーチーム、オールブラックスが試合の前に舞うハカとして有名です。威厳に満ち迫力のあるカマテ・ハカを見て圧倒された人は多いのではないでしょうか。これから、そのカマテ・ハカにまつわる話を紹介します。

ハカとは

ハカはニュージーランド先住民マオリ族に古くから伝わる伝統芸能です。

ハカは、“Kia korero te katoa o te tinana.” (全身で表現する踊り)と定義されているように、手や足を叩き、足を踏み鳴らしながら、目玉を大きく動かしたり舌を出したり、そして大声で唱えながら、歓迎、 反抗、不服の気持ちをさらに強調して相手に伝えます

その為、場面に応じた様々なタイプのハカがありますが、その中でもオールブラックスが演じるカマテ・ハカは世界中に知られています、

自身を鼓舞するとともに相手を威嚇するハカはウォークライ(鬨の声)と呼ばれ、戦場で敵と戦う前に士気を高めるために踊られていました。

マオリ族の民族芸能としてのハカをさらに詳しく知りたい方はこちらを。

カマテ・ハカ誕生

カマテ・ハカは1820年に マオリのNgāti Toa ( ナティ・トア) の部族の首長  Te Rauparaha ( テ・ラウパラハ) が産み出しました。

テ・ラウパラハはナティ・トア族と隣接するワイカトの部族から激しく追跡され、タウポの南のLake Rotoaira ( ロト・アイラ湖)の島に逃れます。そこにはナティ・トア族と遠縁に当たる部族が集落を成していました。

その部族の首長Te Wharerangi(テ・ファレランギ)は、本意でないながらも懇願されテ・ラウパラハをかくまいます。テ・ラウパラハはクマラと呼ばれるサツマイモの貯蔵庫として地下に掘られている穴の中に隠れ、その穴の上にはテ・ファレランギの妻が座りました。

テ・ファレランギが妻を穴の上に座らせたのは、男性が女性の下に身を置く習慣がないため疑われにくいこと、また女性の性器は追跡一団の中のtohuと呼ばれる 祈祷師の霊能力を欺く力が強いからだと言われています。

サツマイモの貯蔵穴に隠れていたテ・ラウパラハは、追跡者の声が近づくと、思わず “Ka mate! ka mate!”( 自分は死ぬんだ!死ぬんだ!)と心の中で呟きます。そして追跡者の声が遠ざかると、“Ka Ora! ka ora!” (いや生きるんだ!生きるんだ!”と繰り返し心の中で呟きます。
追跡者が去った後、暗い地下の穴蔵から這い出て無事に太陽の光を見ることが出来た喜びと、そして助けてくれた恩人への感謝を表し踊ったのが、この カマテ・ハカです。

補足として、カマテの一部の言葉「毛深い男」「ひげのある男」のおかげと訳されていますが、元々はテ・ファレランギの妻の陰毛を指していたという説もあります。

カマテ・ハカ

Ka mate! Ka mate!
Ka ora! Ka ora!
Ka mate! Ka mate!
Ka ora! Ka ora!
Tenei te tangata puhuru huru
Nana nei i tiki mai
Whakawhiti te ra
A upa … ne! ka upa … ne!
A upane kaupane whiti te ra!
Hi !!!

私は死ぬ! 私は死ぬ!
私は生きる! 私は生きる!
私は死ぬ! 私は死ぬ!
私は生きる! 私は生きる!
ここにいる毛深い男のおかげで
再び太陽を輝きをみるのだ
一歩這い上がり、さらにもう一歩!
一歩這い上がり、さらにもう一歩!
そして外へ!
太陽の光の中へ!
今立ち上がるのだ!

Te Rauparaha ( テ・ラウパラハ)

それでは、カマテ・ハカの創作者 Te Rauparaha ( テ・ラウパラハ)は、一体どんな人物だったのでしょうか。

テ・ラウパラハはワイカト地方の北、Kawhia ( カフィア)に住んでいた Ngāti Toa( ナティ・トア) 族の首長の息子として産まれました。テ・ラウパラハが何年に産まれたかは分かっていません。6本の足の指を持っていたことから、マオリの守護神である海獣 *  taniwha ( タニファー)の生まれ変わりだと崇められ、また武芸に秀でており部族の間では高く尊敬されていました。が、一方で幼い頃に父親が敵の部族に捕らわれ食べられてしまったことから復讐心に駆られ、隣接する部族に容赦なく、この為多くの敵がいました。

* taniwha ( タニファー)についての詳細はこちらを。

1828年に部族を率いてワイカト地方から逃げるようにして南下し、ワンガヌイからカピティ島を含んだウェリントン全域を手中に治めると、南島へ進出し、地元の部族に大打撃を与えました。

1839年に大英帝国が土地買収目的で設立したNew Zealand Company  にネルソンとゴールデン・ベイの領域を売り、1840年のワイタンギ条約には2つの契約書に署名。そうすることで土地の所有が保証されると信じていたと言われています。1843 年に土地の利権に絡んでワイラウ川事件を起こしイギリス帝国軍と衝突。この事件はオーストラリアに駐留していたイギリスの軍隊がニュージーランドのマオリ族対策として介入するきっかけとなりました。1846年には Governor George Grey (ジョージ・グレイ総督)  により非合法に2年間投獄されています。

出獄後はウェリントン北部のOtaki ( オータキ) に住み、1849年に他界。この頃は、投獄されたことにより屈辱を受けたとしてテ・ラウパラハの人気は衰えていました。生涯に8人の妻を持ち14人の子供がいたと言います。

カピティ島

現在でもウェリントンの北部にはテ・ラウパラハを祖先とするナティ・トア一族が沢山住んでおり、ポリルア市にあるスポーツ・センターはテ・ラウパラハ・アリーナの名で市民に親しまれています。

オールブラックスとKa Mate

ニュージーランドのラグビー・チームが試合の前にハカを最初に舞ったのは、1888–89年のことです。マオリ族の選手で構成されたNew Zealand Native football teamと呼ばれたチームが 、イギリスやアイルランド、オーストラリア遠征中にハカを披露しました。

1905年には、現在のオールブラックスの前身 となるチームがワールド・ツアーでイギリス遠征中の試合で披露。ちょうど選手のユニフォームが全身黒色に変わったばかりの時で、初戦のイギリスを見事に破ったことから、オールブラックスの名前が定着するきっかけにもなりました。

ですが、一昔前まではオールブラックスの選手はハカをまったく練習していなかったり、心ここにあらずでしたが、世界から注目されるにつれ、こんにちのような洗練されたパフォーマンスが行われるようになりました。

2005年、対南アフリカ戦において、カパ・オ・パンゴ(Kapa o Pango)と呼ばれる新しいハカが披露された時には、ハカの締めとして首を切るようなジェスチャーが物議を醸し出しましたが、オールブラックス側は「自らの首をかけて戦う意気込みを示すもの」として、現在も首を切るジェスチャーは続けられています。

2011年と古いですが、そのオールブラックスがワールドカップで舞ったカマテ・ハカのクリップです。
迫力あふれる舞をお楽しみください。

あとがき

現在はオールブラックスだけではなく多くのスポーツ・チームが試合前にハカを行うようになりました。その中でも女子ラグビーのブラック・ファーンズの選手が、ハカを行う度に自らの文化的なルーツと伝統の尊さを確かめていると語るように、ハカにはマオリ族の民族意識が込められています。

また、マオリ民族と文化を世界に知らしめるツールとしてもハカは大事な役目を果たしていると思います。

最近ではオールブラックス以外にもサモアや、トンガ、フィジーのラグビーチームも試合前に独自の舞を披露するようになりました。皆さん、機会があれば是非ご覧下さい。

Ngā mihi
wonderer



 

ABOUTこの記事をかいた人

アバター

1997年にNZに渡航。以来住み心地がよく現在に至る。旅行、ホテル業界を経て現在は教育業界に従事。 趣味は、ガーデニング、アートと映画鑑賞、夏のキャンプ旅行。 パートナーと中学生娘とウェリントン在住。