男女/人種平等を目指すNZのドレスコード?

kia Ora

ニュージーランドは他の国に比べてリベラルな考え方が浸透していると言われてますが、そのニュージーランドで、先月一般常識について考えさせられるような出来事が相次いで起こりました。

その出来事とは、ドレスコードと呼ばれる服装や身なりに対する規定が、女性や少数民族に対して果たして平等であるか問うものでした。

これからその二つの出来事を個別に紹介しながら、差別の無い社会について読者の皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

1 女性のドレスコードとは?

 

まず最初に、ニュージーランドの首都ウェリントン市内にある Wellington Girls Collegeで起こった出来事を紹介します。
この事件はすぐさまNZ国内の各メディアで大きく取り上げられ、是非を問う討論が繰り広げられるなど、大きな反響を呼びました。

Wellington Girls College は1883年に創立、Year 9 ( 13 歳 ) ~ Year 13 ( 18 歳) の生徒数1300名余りが通う女子校で、ウェリントンでは公立の進学校として知られています。
例に漏れず、制服着用を規定としていますが、最終学年の Year 13 ( 17 ~18歳 ) は、私服が許可されています。

© Tony Wills via Wikimedia Commons

事件の発端は、Year 13の女生徒がキャミソール姿で登校したところ、学校のスタッフから、「肌の露出度が高く男性教師を翻弄する」といった理由で、家に帰って着替えるように命じられたことでした。その日は、他にも数人の生徒が同じような理由で家に帰るように言われました。

ここまでは、どこにでもあるような話です。が、この女生徒達は、「この発言は女性の体を蔑しめ、また女性の自身の外見に対する自尊心を失わせるものである」とし、更に、「肩を出した服装が学校で適切でないのは、女性を性の対象として見ている証拠である」と反論したのです。

これに対し学校側は、当初「様々な人種の生徒が通学しており、肌を必要以上に露出する事で教師や他の生徒の気分を害することのないように、生徒は規定のスマートカジュアルのドレスコードを守るべきである」と対応しました。
が、数日後に「生徒を家に帰した学校側の対応は早急であった。また、男性教師に関するコメントは事実ではなく撤回する。不本意な説明で男性教師に対して気まずい思いをさせてしまって申し訳ない」と謝罪しました。

その後、女子生徒たちはスマート・カジュアルの意味さえ知らなかったという事実が浮かび上がり、現在はドレス・コード改善委員会を結成し学校側と一緒に改善に取り組んでいるそうです。

が、女性徒の一人は、「ドレス・コードは、身に着けているものによって、社会の中で、特に有権者の間で、自身がどういう風に見られるかという考え方を基準としたもの。個人の身体はずかしめを受けることと同じである。そのドレスコードを採用し、学校が生徒のこれから先の人生にそのおぞましい概念を植え付けているのにショックを受けた」とコメントしています。

学校側は、女生徒がこのように立ち上がって意見を主張していることを誇りに思うとコメントしています。

  (  出典 : https://www.newshub.co.nz/home/new-zealand/2021/02/wellington-girls-college-apologises-after-student-sent-home-for-wearing-inappropriate-tank-top.amp.html)


また各メディアでもこの女生徒達を支援する声が上がっています。
1人の記者は、屋外のアクティビティ後暑くて男子生徒が上半身裸でいるのに、女生徒がタンクトップ一枚になったらはしたないから上着を着るように言われて理不尽な思いをした経験をしたとして、諸手を挙げて支持しています。

事件2 公式の場でネクタイを着けることは?

 

Wellington Girls Collegeでは女性のドレスコードが論点でしたが、 すぐ近くにある国会議事堂では、国会参上の際の男性のドレスコードについて論争されました。

去年12月にMaori党の副党首であるラウィリ・ワイティティ ( Rawiri Waititi ) が、ネクタイ着用を拒否したため警告を受けていましたが、先月ネクタイの代わりにマオリに代々伝わる*ヘイティキと呼ばれるペンダントを身に着けて参上し、国会参上を拒否されました。

その後、ワイティティ副党首は、これは文化の認識の欠如を象徴である。ネクタイは、旧大英帝国がニュージーランドを植民化した際にもたされた西欧文化を強制する首縄のようなもの。そのネクタイ着用のルールは改正すべくであると主張し、程なくして許可されました。

これを受けて、ワイティティは「今回の事はマオリ族にとってとても意義のあることである。我々の子孫が、自分の人種に自信を持ち、差別や偏見に捉われることなく自分自身で居るために」とコメントを残しています。

尚、このワイティティ副党首は、去年国会議員として初当選し参上した国会の初演説で、マオリ語で、「首の縄を外してくれら私は歌を歌おう」でした。

*ヘイティキの詳細は下記をご覧ください。

( 出典 : https://www.rnz.co.nz/news/political/436143/rawiri-waititi-allowed-to-speak-in-parliament-without-neck-tie )

あとがき


いかがでしたか?
よく「常識で考える」といいますが、その常識が何を基準にしているのか思わず考え込んでしまったという方も多いのではないでしょうか。

上の二つの事例は、現在の社会の規範が男性と西欧目線で基準が作られている事を証明する良い例です。
女性のドレスコードについて突き止めると、女性も上半身裸でもおかしくはないという事になるます。
また、女性の出で立ちに目のやり場に困るという表現も、存在しないことになります。

時を同じくして、世界的な大スターのマドンナの娘が、同じような理由で腋毛をそらず公の場に登場し、女性の権利をアピールしました。

最近は下着のブラジャーのようなタンクトップが若い女性の間で流行し、ニュージーランドの街中でもよく見られるようになりました。女生徒がこのような格好で登校している学校もあるそうです。
上の理論を当てはめれば、下のモデルのような出で立ちの女性に学校や格の高い場所で居合わせてもおかしくはない筈ですが、実際はどうでしょう?

頭ではわかっていても意識がついて行ってないというのが現状かもしれません。長年培われてきた常識を個人レベルで変えるのはそう簡単ではなさそうです。

Ngā mihi
wonderer



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1997年にNZに渡航。以来住み心地がよく現在に至る。旅行、ホテル業界を経て現在は教育業界に従事。 趣味は、ガーデニング、アートと映画鑑賞、夏のキャンプ旅行。 パートナーと中学生娘とウェリントン在住。