ニュージーランドは先週(9月14日~20日)は Te wiki o te reo Maori ( マオリ語週間)でした。
今年2025年はそのマオリ語週間の50周年に当たり、例年以上の盛り上がりを見せました。
この編では、マオリ語の変遷と、話者数100万人の目標、それから現状などを詳しく紹介します。
はじめに
今年はニュージーランドの歴史において重要な節目となる、Te wiki o te reo Maori ( マオリ語週間)50周年に当たります。
マオリ語週間は、te reo ( テ・レオ)と呼ばれるマオリ語の認知度を高め、公衆での使用を促進し、日常生活に溶け込ませることを目的としています。
2025年のマオリ語週間のテーマは「アケ・アケ・アケ ― 永遠の言語」。
新マオリクイーン、Te Arikinui Kuini Nga wai hono i te po ( テ・アリキヌイ・クイニ・ンガ・ワイ・ホノ・イ・テ・ポー)が、先月人々にマオリ語を話すことを奨励したばかりということもあって、特に今年はマオリ語に対する意識が高まっています。
現在のマオリ語話者数は推定で20万強と言われています。そして2040年までに全国でマオリ語話者数を100万人にするという目標が掲げられています。
Today marks the start of Te Wiki o Te Reo Māori, a week dedicated to the celebration and promotion of New Zealand’s 🇳🇿 indigenous language. This week as we celebrate the 50th anniversary of Te Wiki o te Reo Māori. @reomaori pic.twitter.com/f3v7k2JOnp
— New Zealand Ministry of Foreign Affairs & Trade (@MFATNZ) September 14, 2025
果たして、15年後には100万人の人々がマオリ語を話すようになるのでしょうか?
マオリ語の変遷とともに、マオリ語の現状などを詳しく紹介していきます。

マオリ語の変遷
ニュージーランドは1840年に大英帝国の植民地となった際、世界で初めて先住民族のマオリ族との共存を図る条約、ワイタンギ条約が締結されました。
このワイタンギ条約はマオリ族にイギリス国民と同等の権利を与え、マオリ族個人の権利とともに所有する taonga ( タオンガ)と呼ばれる、言葉や文化なども保証しています。
にも関わらず、ヨーロッパ人の入植が進むにつれて、マオリ語は廃れていく一方でした。
どうしてそうなったのか、ワイタンギ条約締結後のマオリ語の変遷を見ていきます。
19世紀前半ー植民地化
1840年 ワイタンギ条約締結
初期のヨーロッパ人入植者たちは物資や資源をマオリに依存し、交易のためにマオリ語を学ばなければなりませんでした。
このため特に宣教師や政府関係者やその家族など、多数のヨーロッパ人入植者がマオリ語を話していました。
19世紀後半ー先住民学校法
ヨーロッパ人入植者の数がマオリ人口を圧倒するにつれ、マオリ人とヨーロッパ人は居住地を別にし互いに交流することもなくなり、マオリ・コミュニティの孤立化が進みました。
ヨーロッパ人が支配的になりつつある環境で、ワイタンギ条約の存在は忘れられ、またマオリ語を話すことは推奨されなくなり、マオリ語の意義が問われ始めました。
1867年に原住民学校法が設けられ、マオリ人を西欧社会に同化させるという政府の政策の一環として、すべての学校教育が英語で行われるようになりました。当時の生徒たちは、マオリ語を話したために教師に殴られほどでした。
20世紀ー世界大戦
社会的な弾圧にもかかわらず、マオリ語はマオリ族の家庭や marae ( マラエ : 文化の中枢の場所)、それから文学の中でなど依然として広く話されていました。人気の民謡「ポ–カレカレ・アナ」は、第一次世界大戦勃発から間もない頃に作られました。
この当時は、マオリ人の約95%がマオリ語を流暢に話していました。
戦後と都市部への移住
第二次世界大戦後、土地を余儀なく手放したマオリ人の多くが、仕事のため都市部へ移住しました。戦前はマオリ人口の約75%は農村部に住んでいましたが、1960年代までには、逆に約60%が都市部に住むようになりました。日常生活は英語で行われ、マオリ語を話す人の数は急速に減少し始めました。
マオリ文化復興とマオリ語請願
こうした中、1970年代に入るとマオリ文化と言語の復興が起こりました。
新しい政治意識がニュージーランド全土に広がり、数々の抗議運動が行われました。
そうして1972年9月14日、3万人以上の署名を集めたマオリ語嘆願書が国会に提出されました。嘆願書の内容は、マオリ語が急速に衰退してる中で、学校でマオリ語を教えることを訴求するものでした。そしてこの出来事がマオリ語復興運動のきっかけとなりました。
その3年後の1975年、ニュージーランド政府は嘆願書が提出された9月14日をマオリ語の日と制定しました。
マオリ語が公用語に
1987年ワイタンギ条約審査会は、マオリ語はワイタンギ条約に基づき王室が保護する義務のあるタオンガ(文化遺産)であるとし、マオリ語をニュージーランドの公用語に制定しました。
これを受けて、マオリ語の日はマオリ語週間(Te Wiki o te Reo Māori)へと拡大されました。
そして、マオリ語週間を推進する重要な機関として「Te Taura Whiri i te Reo Māori」(マオリ語委員会)が設立されました。「Te Taura Whiri i te Reo Māori」(マオリ語委員会)は毎年、学校や職場で使う簡単な言葉や挨拶、それからマオリ週間のテーマやスローガンを選んでいます。
Kohanga Reo – マオリ語学校
1982年、Kohanga Reo (Kohanga reo ) と呼ばれるマオリ語で授業を行う小学校が開かれ、その後3年間の間に数百校が開校しました。この運動は、流暢な話者を育成することでマオリ語の活性化に成功し、マオリ・コミュニティ内に強いアイデンティティと文化的なつながりを育んでいます。

現在
2010年代までに、マオリ語週間は、学校、企業、地方自治体、メディアに広く受け入れ、毎年恒例の国民的な大きなイベントへと成長しました。
おかげでマオリ語週間はニュージーランドで最も広く認知されている文化イベントの一つとなり、マオリ語言語復興だけでなく、国民のアイデンティティも象徴しています。
その甲斐あって、1960年までに25%、1975年には児童において5%まで激減したマオリ語の話者数は、年々増加しています。
一例として、マオリ語を母語とするマオリ人率も2021年には25%と、2018年の17%から上昇しています。
また、学校でマオリ語を学ぶ生徒の数は22万人を超え過去最高を記録しています。現在、マオリ語の支持は数百万人に上り、ニュージーランド人の5人に3人がマオリ語を小学校の主要科目にすべきだと考えています。
問題点
逆行する政府の施策
このように、1975年にマオリ語週間が設けられて以来マオリ語は過去50年の間、順風満帆の変遷を遂げているように見えますが、現政権がマオリ語教育やマオリ機関に規制を敷き、物議を醸し出しています。
その規制とは、具体的に次のような例が挙げられます。
- 「ワイタンギ条約原理見直し法案」を提案した(結果は可決されず)
- 政府機関のコミュニケーションにおけるマオリ語の使用を制限または削減する
- 政府機関の名称やパスポートなどの公式文書ではマオリ語よりも英語を優先
- 体系的な学習書からマオリ語(kupu Māori)を削除する
流暢な話者は増加していない
上述のように日常生活にマオリの単語を取り入れて使用する人口は増えていますが、流暢な話者の数は同じペースで増加していないことを専門家は危惧しています。
今後も、より多くのニュージーランド人が日常生活にマオリ語の単語やフレーズを取り入れる可能性は高いですが、会話をするにはまだ十分ではありません。
このままいけば、
より強力な支援がなければ2040年までにマオリ語話者数が100万人に達する可能性は低いとみられています。
言語の再活性化には「家族と部族からのボトムアップの支援と、政府からのトップダウンの支援の両方」が必要で、家族の中での言語の継承、強力な教育経路、日常生活におけるマオリ語の可視化という、効果を高いと思われる3つの主要な支援分野を特定しています。
(出展)
https://www.stuff.co.nz/nz-news/360823492/maori-language-week-brief-history-te-reo-maori
https://www.thepost.co.nz/nz-news/360815952/milestone-moment-maori-language-movement-goal-grow-speakers-continues
あとがき
長くなりましたが、マオリ語週間の意義をご理解いただければ幸いです。
言語は文化を継承する大事なものです。植民地によって失われることは絶対にあってはいけません。
次の編では、絶対知っておくべきマオリ語100選を紹介する予定です。
また、マオリ語週間については古いですが別の編で、違う角度から焦点を当てて特集しています。
併せてこちらも是非ご覧ください。
Ngā mihi
wonderer













