kia ora
2024年8月末、ニュージーランドのマオリ族王室のキングが亡くなりました。一週間に渡る葬儀に弔問した人の数は数十万に及び、ニュージーランドの歴史に残る出来事となりました。また後継者として弱冠27歳のクイーンが選ばれたことでも、国内のみならず海外からも注目を集めました。
そのマオリ王室についての特集第一弾として、亡くなったキング・トュヘイティアの生涯と葬儀、そして新しいクイーンのナー・ワイ・ホノ・イ・テ・ポーを紹介します。
1. はじめに
2024年8月30日金曜日、ニュージーランドのマオリ族の * Kiing i Tuheitia Pootatau Te Wherowhero VII (*キンギ・トュヘイティア・ポートトウ・テ・フェロフェロ7世) が病で亡くなりました
ちなみにKiingi は英語のキングをマオリ語に置き換えたもので、王を意味します。女王の場合はKuīni (クイーネ)と表されます。
そのマオリ王族の7代目であるキンギ・トュヘイティアの葬儀は王族のマラエで1週間にかけて行われ、神聖でありながらも壮大でマオリ族の歴史に残る出来事となりました。
また、葬儀の最終日には後継者として弱冠27歳のクイーンが選ばれ、次世代のマオリ族に明るい未来をもたらすものとして海外のメディでも大きく取り扱われました。
2. キンギ・トュヘイティア
2.1 生涯
Kiingi Tuheitia Pootatau Te Wherowhero VII (キンギ・トュヘイティア・ポートトウ・テ・フェロフェロ7世)は1955年に生まれ、5人の姉妹と兄が一人います。
2006年、母親のマオリ・クイーン Te Arikinui Dame Te Atairangikaahu が他界し、キンギに即位しました。この時51歳でした。
キンギ・トュヘイティアは Matatini ( マタティ二)と呼ばれる2年毎に開催されるマオリ族の舞踏 Kapa Hakaの全国大会の後援者である他、全国各地のマオリ族のイベントに精力的に参列しました。
2007年には東京国立博物館で開催されたマオリ族の “Mauri Ora” 展のオープニング・セレモニーに参列した他、2009年国連訪問、2019年バチカンでローマ法皇面会、2023年イギリス国王チャールズ3世の戴冠式の参列など、海外交流も積極的に行いました。
ニュージーランドを訪れた海外の要人とも快く面会し、面会数が1年間で26回に及んだこともあります。
政治や社会活動にも積極的で、マオリ人の服役者の更生や服役中に出産した女性の待遇の改善を図るとともに、自然災害への対応策として環境保護問題にも深く取り組んでいました。
こうした社会活動加え、各マオリ部族間の結束を固めたことは後世に残る偉大な功績として称えられています。
その例の一つが、2014年にマオリ王室と密接に関わる諮問委員会を結成したことです。25年ぶりの結成となった諮問委員会のメンバーは、従来の王室を擁すTainui ( タイヌイ)部族の中からではなく、48人の部族の酋長が集まって協議し色々な部族から選ばれました。また初の女性メンバーも含まれています。
また今年2024年1月には、去年発足した新内閣のワイタンギ条約の原理の見直しや政府機関でのマオリ語の使用規制の動きに対し、マオリ族の結束を固めようと全国的な会議を開きました。約10,000人が参加したこの会議の席で、
政府に対する最も有効的な反対手段は、マオリ自身がマオリ価値観を貫き、マオリ語を話し、子孫を大切にすることである。世界中の先住民族が注目しており、ニュージーランド政府に対しワイタンギ条約を改定しないように進言している。
今こそマオリ族は団結するべきである。
と説き、キンギ・トュヘイティアは全国の各マオリ族の賛同を得ました。
2.2 葬儀
そのマオリ族の王、Kiingi Tuheitia Pootatau Te Wherowhero VII (キンギ・トュヘイティア・ポートトウ・テ・フェロフェロ7世)ですが、8月30日に心臓病の手術後家族に見守れながら静かに息を引き取りました。享受69歳。即位18年周年を祝った直後のことでした。
キンギ・トュヘイティアの棺は、ワイカト地方のNgāruawāhia(ナールワーヒア;ハミルトン市の北20kmにある)Turangawaewae Marae (トューランガワイワイ・マラエ)に安置されました。そこで7日間に渡るTangihanga (タンギハンガ)と呼ばれるマオリの伝統的な葬儀が行われ、数十万人もの人々が追悼に訪れました。
弔問客の中には、現/元首相などの政治家の他、各界の重鎮が多数含まれており、またイギリス王室チャールズ国王など海外の要人からも沢山の弔電が送られています。
葬儀7日目の最終日の朝、キンギ・トュヘイティア後継者として娘の Te Puhi Ariki Ngawai Hono i te Po Paki (テ・プヒ・アリキ・ナーワイ・ホノ・イ・テ・ポー・パキ)が指名されました。そしてすぐさま キンギ・トュヘイティアの棺の前で、マオリ王室8代目として新しい女王の即位式が行われました。
その後、キリスト教色の強いカラキア(マオリ族の伝統的な祈り)が重々しく挙げられ、続いてワイアタ(マオリの歌)の合唱やハカ(武闘の踊り)を舞う人々に見送られながら棺はマラエを離れました。棺はwaka (ワカ;カヌー)でワイカト川を2時間かけて運ばれ、マオリ族にとって神聖なTaupiri Maunga(タウピリ山)で埋葬されました。
尚葬儀は、人間としてのキンギ・トュヘイティアテが先祖になる直前を飾るものとして神聖な儀式であるため、その一般公開されてない部分があります。
3. 新しいクイーン
そのキンギ・トュヘイティアテの後継者には、娘の Te Puhi Ariki Ngawai Hono i te Po Paki (テ・プヒ・アリキ・ナーワイ・ホノ・イ・テ・ポー・パキ)が選ばれ、女王として即位しました。
マオリ王室の君臨者としては8代目、クイーンとしては2代目になります。初代クイーンは彼女の祖母にあたる Te Arikinui Te Atairangikaahu(テ・アリキヌイ・テ・アタイランギカアフ)で2006年に亡くなっています。
即位式は、Turangawaewae Marae (トューランガワイワイ・マラエ)にて父親のキンギ・トュヘイティアの葬儀の最終日に行われました。
キンギ・トュヘイティアの棺の目の前で王座の椅子に座ったクイーンは、1858年に初代キングが宣誓した同じ聖書に誓いました。
新しいクイーンのナーワイ・ホノ・イ・テ・ポーは弱冠27歳の若さですが、王室を擁するタイヌイ族を除く15部族のメンバーで構成されるマオリ部族評議会によって選ばれています。二人の兄よりも人徳が高いと一般で言われています。
大学院でマオリ文化のマスター(修士号)を取得後、父親のキンギ・トュヘイティアを助けながら伝統マオリの踊りkapa haka (カパ・ハカ)を教えていました。
若いクイーンには伝統的なマオリ族の王室に新風を巻き起こし、また全国のマオリ人の若者をまとめることができるのではないかと大いに期待されています。
4. あとがき
ニュージーランドの他界したマオリ族のキングと、新しいクイーンについて紹介しましたが、読者の中にはマオリ族に王室が存在することを知らなかった方も多いのではないのでしょうか。
マオリ族の王室の第二弾として王室そのものの誕生やその歴史について特集を組む予定です。
ご期待のほどを。
Ngā mihi
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