Kia ora
ニュージーランドには、法的に人権が与えられている川が存在します。
その川の名前は、ワンガヌイ川。
地元のマオリ族にって川は祖先であり、聖なる流れです。
かつて、「私は川、川は私」の題で、世界的な雑誌「ナショナル・ジオグラフィック」の誌上で取り上げられたこともあります。
そのワンガヌイ川が、どういう経緯で人権を持つようになったのか、マオリ族との関係や背景を踏まえながら詳しく紹介して行きます。
目次
1. ワンガヌイについて
本題に入る前に、ワンガヌイ川があるワンガヌイがどういう所なのか見ていきましょう。
1.1 概要
- NZ北島西海岸にある都市部。首都ウェリントンから約200キロメートル北に位置する
- 総面積2,337平方キロメートル、人口約42,300人。NZ国内では19番目に人口の多い都市部
- ワンガヌイ川はニュージーランドで最も長い航行可能河川
- ワンガヌイ川(ワンガヌイ・アワ)を中心とする傑出した自然環境で知られている
- かつては市であったが、1989年の行政再編で区(District)に変更
- 日本の静岡県長泉町と姉妹都市

- 2009年、英語での綴りが Wanganui から従来の「Whanganui」に変更。
- 「Whanganui」はマオリ語で大きな湾/入り江を意味する。(Whanga は湾、入り江 nuiは大きい)
1.2 略史
800年~1000年前にマオリ族が入植、ワンガヌイ川周辺に集落をなす

Pūtiki pā on the Whanganui River in 1850, based on a now-lost oil painting by John Alexander © Archives NZ
1831年 初めてヨーロッパ人の貿易商が到着。
1840年(ワイタンギ条約締結)イギリスからの入植が始まりウェリントンに続く第二の入植地となる
1846年 ワンガヌイ川の上流の部族から入植地を防衛する為、英国軍が到着する
1854年 ニュージーランド会社の役員ピーター卿にちなんで「ピーター(Petre)」と呼ばれたが、馴染まずマオリ名の「ワンガヌイ(Wanganui)」に変更
2. ワンガヌイ川とマオリ族
2.1 ワンガヌイ川とマオリ族の関係
ワンガヌイ川は全長290キロメートルで、ニュージーランドで3番目に長い川です。
マオリ神話で
* Māui (マウイ) の神が釣った大きな魚がニュージーランドの北島となり、空の神ランギヌイの涙が2滴マウイの魚にこぼれた。そしてその2滴の涙が後にワンガヌイ川とワイカト川になった
と伝承されるワンガヌイ川に初めて足を踏み入れたのは、ニュージーランドに最初に移住した探検家の一人Tamatea(タマテア)で、川を遡ってタウポ湖まで移動したそうです。
このため、川沿いの多くの場所は、タマテアに因んだ名前が付けられている場所が沢山あります。
* Māui にまつわるマオリ神話についてはこちらを。
以来、マオリ族は700年以上にわたりワンガヌイ川と共に暮らし、マオリ族は川を「Awa Tupuna」(祖先の川)として大切に保護していました。
古くから伝わることわざ ‘Ko au te awa ko te awa ko au.’ (私は川、川は私)に象徴されるように、川はマオリ族にとって聖域であったのです。
また、ワンガヌイ川は心の拠り所としてだけでなく、運送、食料の供給など生活の糧として重要な役割を果たしていました。
マオリ族は川の周辺に集落を作り、中には要塞も築いた部族もあるほどで、川を waka ( カヌー)で行き来ししました。カヌーには40人乗りの戦闘用に作られたものもあったといいます。
そして、pā auroaと呼ばれる画期的な仕掛けで川に生息するウナギや魚を捕まえ、食料の糧としていました。



写真(1)Pā tuna or eel weir, (2,3) Hīnaki, or eel basket, Whanganui River, 1921, photograhed by James McDonald
2.2 植民地化の影響
1840年にワイタンギ条約が締結後、ワンガヌイはイギリス人にとっても交易の主要地になりました。次々に入植者が増え繁栄するにつれ、ワンガヌイ川に対するマオリの権限は徐々に失われました。

View of Whanganui, New Zealand, 1847, John Alexander Gilfillan
1892年に蒸気汽船が運航が始まると、川は汚れ、またマオリ族のウナギや魚を捕まえる仕掛けが次々と取り払われました。
1900年を過ぎた頃には、ワンガヌイ川は国内有数の観光地となり、荒々しい美しさと川岸に住むマオリ族の村を見るために毎年数千人が訪れ、その数はマオリ族の人口を圧倒しました。
さらに追い討ちを掛けるようにワンガヌイ川に水力発電所が建設され川上流域の自然な流れが奪われたことは、マオリ族に大打撃を与えました。
というのも、マオリ族にとって人の頭は最も神聖な場所であり、それ故に彼らの祖先の川ワンガヌイ川の上流は祖先の頭に当たり、このため流れの改変は、マオリ部族には最大の侮辱となりました。また食料となるうなぎの数も激減しました。
* ワイタンギ条約の詳細についてはこちらを
3.ワンガヌイ川が人権を得る
3.1 経緯
1975年に過去の不正な土地の取引を審査する*ワイタンギ条約審査所が設けられたことを契機に、ワンガヌイ川のありさまに対する不満の声が地元のマオリ部族の中で高まりました。
*ワイタンギ条約審査所の詳細はこちらを。
そこで、1988年、ワンガヌイ川理事会が結成、ワイタンギ条約の条項に基づいて川の修復を求める交渉の準備が始まり、1990年に正式にワイタンギ条約審査会にワンガヌイ川請求が行われました。
その後も1995年のMoutoa Garden における150人のマオリ人による約80日間のプロテスト、
2009年にはニュージーランド地理委員会に対し地名を「Wanganui」から正式な「Whanganui」に変更を申請、2009年に政府に承認されるなど、ワンガヌイのマオリ部族の活発な動きは全国の注目を浴びました。
そうしてようやく2017年3月16日、申請してから27年後にワンガヌイ川請求が法的に認められたのでした。
3.2 法的な人権とは
2017年に制定された法律は、ワンガヌイ川は「Te Awa Tupua(先祖の川)」として山から海までなす不可分で生きた存在であり、「法人がもつ権利、力、義務、責任」を保証します。
それ故に、ワンガヌイ川に関する決定は、川の法的な人権の保証、そして川が健康で満足できる状態であることが必須です。
ちなみに、川が人権を持つ法律はニュージーランド国内は勿論、世界で初めての事例でした。
ワンガヌイ川が地域のマオリ部族に返還された訳ではありませんが、政府の「過去の過ちを償う」という弁明とともに、西欧的な発想でなく川は「不可分の生きた存在」というマオリ族の概念が認識されたということはマオリ族にとって重要な意義があります。
4.あとがき
日本人からしてみれば、川が人権を持つだなんて思いもかけない出来事です。
ですが、このブログを読んでなる程そういうことかあ、やっぱり川を大事にしないといけないなあと思っていただければ幸いです。
余談ですがお隣の国のオーストラリアは森林火災が多い所で、数年前に大惨事に至ったこともあります。そのオーストラリアの森林に6万年前から住んでいる先住民族のアボリジニ族は、樹木が成長し密接すると枝や樹木自体を間引きして自然引火を防いだと言います。
自然を大事にしながら自然と共に生きる原住民族の人々から、文明社会に生きる私たちは学ぶべきことが沢山あるのではないでしょうか。
余談ですが、マオリ族とヨーロピアン開拓者の接触を描いた映画の特集をしています。
ご興味がある方はこちらもご覧ください。
Ngā mihi
wonderer
(参考文献)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/022700131/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%8C%E3%82%A4
https://natlib.govt.nz/he-tohu/learning/social-inquiry-resources/cultural-interaction/cultural-interaction-supporting-activities-and-resources/change-maker-whanganui-river