Kia ora
ワーキングホリデーや職を求めて海外に移住するほとんどの人が、ニュージーランドで一番最初に思い付く場所と言えば、Auckland ( オークランド ) と答えるのではないでしょうか。
この編ではそのオークランドについて、どうして日本人に人気があるのか、そして特徴や歴史など細かく紹介していきます。
1.オークランドの人気の理由
オークランドはニュージーランド最大の市で、そしてニュージーランド経済の中心地です。
その他にも、
- 海と緑に囲まれて天候も穏やか。街中から少し歩けば潮風を感じられる
- 日本人が最も多く住んでいる(推定人数9,000人)
- 西欧文化に加えて、ポリネシア、アジア文化が発展しており多国籍文化
ということで、初めてニュージーランドに住む人にはオークランドは理想的な場所と言えるでしょう。日本人が多ければ、それだけ情報も入りやすいですし仕事も見つかりやすいですよね。
2.特徴
名前について
- インド総督を務めていた初代政治家のオークランド伯爵ジョージ・イーデンに由来
- マオリ語で「Tāmaki-makau-rau ( ターマキ・マカウラウ)」意味は「万人に望まれる肥沃な地」
- ニックネームは 「 City of Sails(シティ・オブ・セイルズ、帆の街)」
かつては居住者3軒に1軒の割り合いでヨットやボートを所有していた

初代オークランド伯爵ジョージ・イーデン
地形/地理/気候
- 南緯 36度51分 (日本の北緯36度は島根県)
- 海洋性気候。NZの主要都市の中で最も過ごしやすい
- 53の単性火山から構成される火山群がある。最新の噴火はランギトト島の約600年前
*海洋性気候
海陸風、季節風など海洋と陸の間で起こる風の影響を受けるため最低気温と最高気温の差(日較差)が小さい。また、一般的に降水量は多い。
(出典:ウィキペディア)

統計
- オークランド市の人口約 150万人。 周辺の市町村やハウラキ湾の島々を合わせたオークランド地方の人口は175万人。ニュージーランドの人口の3割強が居住
- 約40%の人口は海外で出生 メトロポリタン都市である
- 世界最大のポリネシア人の居住人口を抱える
- アジア人の人口が30%以上を占める
- 日本人在留推定数 9,000人前後(NZ全体では20,000人前後)
- オセアニア地域で5番目に大きい都市
行政
- かつてニュージーランドの首都であった
- 2010年にニュージーランドの地方行政区画の改革によって7つの自治体が統合され、広域都市オークランド地方が発足した。
- 現在の市長は Wayne Brown ( 2024年3月現在)
3.歴史
マオリ族
1,350年前後 | 肥沃なオークランドの*地峡に先住民族のマオリ族が住み始める。ほとんどの部族が火山の頂上近くに要塞化された集落に住んだ |
1700年頃までには、One Tree Hill, Mangere に構える部族が繁栄 | |
1740年~ | Ngāti Whātua Ōrākei 部族が最も有力な部族。推定人口は約2万人 |
1800年~ |
NZ全土でヨーロピアンがもたらした火縄銃が部族間の戦に使われるようになると、銃を持たなかったオークランドの部族には不利な形勢となり、オークランドから逃れ*マオリ族の人口が激減する。 |

*地峡(ちきょう)とは、海峡の逆で、2つの陸塊をつなぎ、水域(海や湖)に挟まれて細長い形状をした陸地である。(出典:https://www.weblio.jp)
*マオリ族の土地の喪失と衰退についての詳細をこちらを。
ヨーロピアン入植
1769年 | イギリスの探検家ジェームズ・クックがエンデバー号で湾岸を視察するがオークランドには上陸しなかった |
1820年 | イギリスの宣教師サミュエル・マーズデンが西欧人として初めて足を踏み入れる |
1832年 | 捕鯨家のウェラー兄弟が土地を購入 |
1839年 | ヨーロピアンの入植が本格的になる |
1840 年 |
ワイタンギ条約が締結され、NZはイギリスの植民化となる。イギリス海軍のウィリアム・ホブソンがニュージーランドの初代総督に任命。Ngāti Whātua Ōrākei 部族は敵対する部族からの保護や、王室や教会へのアクセスへの計らいを求め、ワイテマタ・ハーバーに建てられた町をホブソン総督に寄贈 |
1841年 | ニュージーランドの首都と制定。Bay of Island のラッセルから政治機関を移管 |
アイルランド人を中心とした安い土地を求める新移民者が急増。人口が1,500人から1864年の間に 12,000人に増加 | |
1865年 | 交通の利便性を理由に首都がウェリントンに移る |
近代史
20世紀の初め路面電車や鉄道が敷かれると共に、オークランド市は一挙に拡張。
第二次世界大戦後は自動車が主要な交通手段となり、特に1950年代にオークランド・ハーバー・ブリッジが架けられるとNorth Shore 市が、またポリネシア人の移住が顕著であるManukau City などオークランド郊外の市が栄えた。この為1980年代に入ると企業の本社が首都ウェリントンからオークランドに次々と移り、国内の経済の中心地となる。1996年に人口が100万人を突破。
4.ニッポン・クリッポン
オークランドの名物の一つにハーバーブリッジがあります。長さ1020メートル、水面からの高さ43.27メートルを誇るこの橋は日本と深い関わりがあります。

1959年に架けられたこのハーバーブリッジでしたが、その後人口が増えるにつれ通行する車両の量も増え、この為1969年に4レーンから8レーンに増幅されました。
その増幅工事を請け負ったのが、当時石川島播摩重工業株式会社、現在IHIと呼ばれる日本の企業です。石川島播摩重工業株式会社は、あらかじめブロックに分けて作った橋を現場で一気に繋ぐ「 大ブロック工法 」と呼ばれる画期的な方法で世間をあっと言わせました。(写真下左)
そのおかげでしばらくの間、ハーバーブリッジは「ニッポン クリッポン」という愛称で地元の人々に呼ばれていました。
余談ですがハーバーブリッジは交通量に合わせてレーン数が変更されます。朝夕のラッシュアワーには通常の4レーンづつから交通量の多い方を5レーンに、逆方法を3レーンに変更して渋滞を緩和できるようになっています。


5.あとがき
1997年にニュージーランドに渡航した私自身も、最初の5年ほどはオークランドに住んでいました。
現在はウェリントンに居心地良く構えていますが、オークランドの暖かい天候とアジア系の安いレストランや食料品が豊富な点は、オークランドがいいなと思います。
どこに住むかは個人次第ですが、これからオークランドかウェリントンのどちらに住もうか迷っている方は下記のブログ記事もご参考下さい。
Ngā mihi
wonderer