これからどうなる?緊張のワイタンギ条約記念日2024年ハイライト

Kia ora

何かと物議が醸し出されるニュージーランドのワイタンギ条約。
特に今年で184年目を迎える2024年のワイタンギ条約記念日は、昨今の社会的な情勢から例年にもまして緊張に包まれた日となりました。

この編ではその2024年のワイタンギ条約記念日のハイライトを紹介するとともに、改めてワイタンギ条約そのものについて考えていきたいと思います。

2月6日のワイタンギ条約記念日。

毎年この日は国家設立の基盤を築いた文書、ワイタンギ条約が締結された事を記念し、文書が締結されたワイタンギにて、ニュージーランドの歴史と文化を敬うための儀式が執り行われます。

この儀式 ( Dawn Ceremony と呼ばれています) では、夜明け前に黙とうを捧げた後に教会の牧師が説教を説き、政治家が聖書を読んだり全員で讃美歌を歌うなど、とても厳かに行われます。

その後、大きなマオリの waka ( ワカ:カヌー)が浜辺に着き、haka(ハカ:マオリ族伝統の武闘踊り)で迎えます。

今年で184年目となった今年2024年のワイタンギ条約記念日ですが、その儀式が行われたワイタンギに5万人の人々が集まりました。例年の5倍以上の数だそうです。

今年のワイタンギ条約記念日が例年以上に注目を集めたのは、去年11月に組閣した連立内閣がワイタンギ条約の原理の見直しを公約し、ニュージーランドの社会に大きな反響を呼んでいるからです。

このため、ワイタンギ条約記念日の前日2月5日に行われた政府要人をワイタンギの場に迎える恒例のPōwhiri (ポーフィリ:歓迎式)は、いつもにも増して緊張がみなぎる儀式となりました。

マオリ族代表が客の閣僚に対して容赦ない言葉を述べると、閣僚、特に反ワイタンギ条約の発起人とも言えるNZアクト党首のディヴィッド・シーモアのスピーチはブーイングで遮断されました。しまいにはNZファースト党首であり副首相のウィンスト・ピータースが聴衆に「ちゃんとした教育を受けろ!」と発言するほど、激しいほどにヒート・アップした内容になりました。

その一部始終が収められていますので、是非下の動画をご覧ください。

* pōwhiri( ポーフィリ)の詳細についてはこちらを。

ここで、ワインタンギ条約とは何ぞや?という方のために、簡単に説明します。

ワイタンギ条約は1840年2月6日に大英帝国とニュージーランドのマオリ族との間で交わされた契約書です。当時の貿易の要であったニュージーランドの北島の Bay of Islands 地方のRussel ( ラッセル)のWaitangiで締結されたことから、ワイタンギ条約と呼ばれています。このワイタンギ条約の締結により、事実上ニュージーランドは大英帝国の植民地となり、同時にマオリ族はヴィクトリア女王の臣下としてイギリス国民としての権利が保証されました。

が、マオリ族が署名したマオリ語版のワイタンギ条約契約書と大英帝国側が署名した原本の英語の契約書の内容が違いがあったこと、そしてイギリス人の移民が増加しワイタンギ条約そのものが忘れ去られたことにより、次第にマオリ族の権利、特に土地や文化の所有権利が侵され、マオリ族は不遇な生活を強いられることになってしまいました。

このため、1975年にワイタンギ審査会が設けられ過去の不正の土地の取引について賠償がなされ、またマオリ文化継続の目的でマオリ語を公用語としマオリ語週間の設立など、マオリ文化啓蒙運動が年々高まってきています。

ワイタンギ条約についてもっと詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。

ところが、そのワイタンギ条約に関してここ最近緊張感が高まってきました。
その原因として次の二つの出来事が挙げられます。

去年2023年の11月に発足した新内閣はそのワイタンギ条約そのものを見直すとし、社会に衝撃を与えました。

新内閣はクリストファー・ラクソンを新首相に要する National ( 国民)党と NZ ACT(NZアクト)党、そしてNZFisrt(NZファースト)党の三党からなります。

そのNZアクト党首のDavid Seymore ( ディヴィッド・シーモア)が「ワイタンギ条約の原理を見直す法案を作るための委員会をすぐさま結成、そしてリファレンダム/国民投票で国民に問う」を公約しました。続いてNZファースト党首のウィンストン・ピーターズが、「ワイタンギ条約審査会の法令ついては、その適用範囲、目的そして性質などは設立当初のワイタンギ条約の原理に基づくべき改正すべき」と述べたことが発端です。

*詳しくは下の記事をご連絡ださい。

更に追い打ちをかけるように、マオリ活動家によるテロ行為とも言える事件が発生し、一挙に緊張感が高まりました。

その事件とは、昨年12月に首都ウェリントンのテパパ博物館に展示されているワイタンギ条約の英語版が数名のマオリ活動家により黒く塗り潰されたことでした。

Te Waka Houruaと呼ばれるこの活動家は、マオリ族が署名したマオリ語版が真のワイタンギ条約であり、英語版は偽物であるからテパパで展示するべきでないと以前より主張していたそうです。

この事件の後、テパパ側との話し合いがなされ英語版を作り直して展示することに合意がなされたようですが、それでも、この事件は世間に強いインパクトを与えました。

これまで2024年のワイタンギ条約記念式典について政治がらみで説明しましたが、一般のマオリ人の反応はどうだったのか紹介します。

全国津々浦々から集まったおよそ1,000人がマオリ族酋長の旗、Tino Rangihanatanga ( ティノ・ランギハナタンガ)をかざし ‘Hīkoi mo te Tiriti’ ( ワイタンギ条約の為の行進)と唱えながら、ワイタンギまで行進しました。

この行進は予想通りでしたが、この’Hīkoi mo te Tiriti’に加えて、今年は別のマオリ族による行進が同時に行われ世間の注目を浴びました。

白旗を掲げた白装束の若い世代の人々を中心に構成された行進で、中にはマオリ族でない人も多数いました。デモ行進というよりは平和行進の表現が合っているかと思います。

その平和行進の先頭に立ったのは、マオリ活動家として知られる Tama Iti ( タマ・イティ )。
顔中の tā moko ( ター・モコ:マオリ族の伝統的な入れ墨)が際立つタマ・イティは、2005年のワイタンギ審査会の公聴会でオーストラリアの国旗に銃弾を放ち、マオリ急進派としてその名を国内に轟かせたことがあります。ここ数年はアートシーンで主張を表現するなど穏健派として活動をしているようです。

若い人たちにワイタンギ条約の意識を高める目的でこの平和行進を始めたとか。そのメッセージは国中に届いたのではないかと思います。

国民党のクリストファー・ラクソン首相は、去年の組閣時には連立するACT党のディビッド・シーモアのワイタンギ条約見直し案に賛同していました。
が、ワイタンギ条約記念日後には、これから先その案を支持することはないと意見をくつがえしています。

シーモアはラクソン首相のコメントは信じがたいとコメントを返しましたが、ラクソン首相は支持する意向も、また義務もないと強く固辞しているいるようです。

3党連立内閣が発足して3か月足らずの間に、各政党の方針に違いが明るみになってきました。もしかしたらラクソン首相はワイタンギ条約については別の方法でACT党にアプローチするとの噂があるようですが、この二つの党の関係が微妙になっていることは否めないようです。

いつにも増して緊張と懸念が混じったワイタンギ条約記念日でしたが、蓋を開けてみると大した衝突も無く無事に収まりました。
全国的にこの日はニュージーランド国家設立の記念日としてポジティブに祝われたようです。

今後の動向は、政治家次第とも言えるほど先が読めない混沌とした状態ですが、その中で今回のTama Iti ( タマ・イティ ) のアート行進はマオリ族の行く末に大きな影響を与えたのではないかと思います。従来とは異なり、次世代の若い人々を対象に平和を啓蒙する活動はマオリ人でなくても共鳴できることでしょう。一筋の光が見えたような気がします。

中心となった煽動家のタマ・イティについては、改めて特集を組んで詳しく紹介できればと思います。

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1997年にNZに渡航。以来住み心地がよく現在に至る。旅行、ホテル業界を経て現在は教育業界に従事。 趣味は、ガーデニング、アートと映画鑑賞、夏のキャンプ旅行。 パートナーと中学生娘とウェリントン在住。